創新塾に参加しての成果は
1.経営理念の確立
2.経理の基本知識の習得
3.目標管理の具体化
4.多くの友人を得て、事故の生き方の見直し が出来た事である。
これらの成果とそれに至る経緯を振り返ると、特に「経営理念」に関しては、会社を設立した2年前はぼんやりしたイメージでしかなく、どちらかといえば当時自分ができる「業務内容」のみを「箇条書き」に纏めただけに過ぎなかった。
当時としては何よりも仕事を請けることを最優先に取り組んでいたが、もっとも重要である「何のために会社を設立したのか」という自分の生き方にも直結する「経営理念」がなかったのである。
この確立に相当の時間と労力を費やし、「私たちは臨床試験を通じて医薬品の迅速な開発を支援し、病気で困っている人々の健康の回復と増進に寄与します」という「経営理念」を策定することが出来た。
更に当経営理念を基に受託業務内容を見直し、「経営理行」として一体化を行うことが出来た。
このことにより、日々生じる問題や悩みに対して、右往左往することなく毅然と受け止めることができるようになったと思います。開発業務担当者に対する研修でも「患者さんは新薬を今か、今かと待っている。皆さんの仕事の遅れで助かるかもしれない人が亡くなるかもしれませんよ」と話しているこの言葉は、担当者に向けてというよりも、むしろ自分に言い聞かせていると実感できることです。
経営理念は最終的には項目4の自己の生き方の見直しへも関連します。ごく平凡なサラリーマン生活も9合目近くでのバブル崩壊と共に、それまでの他人依拠的な生き方に大きな見直しをせまられました。つまり、会社を離れた場合、個人として何が出来るのかを真剣に考える必要が出てきたという事です。
取り敢えず自立するために会社を作ったのですが”魂いれず”の状態でした。経営理念はこの悶々とした自己の課題に対する回答にもなりました。会社というものは個人の所有物ではなく公的な存在であることを実感することができ、さらに自分は何のためにこの世に生まれ、なにをすべきかを振り返ったとき、あまりにも自己の生物学的な本能を主軸に生きてきたのではないかと反省を迫られました。それは司馬遼太郎の「坂の上の雲」等に代表される近代日本を作り上げた明治時代の日露戦争における「日本人の生き方」について学んだことも人生の振り返りとなりました。
当時の日本を取り巻く環境下は今とは比べものにならない情報不足でしたが、国全体が日本の危機感を共有し、それを突破することで、日本を一流の国際国家に押し上げることが出来たのです。その発送の基は自己の存在に「公的理由」をおいたことにあります。今は使われない「世のため、人のため、国のためどう生きるか」が全てであり、個人のためという発想自体が存在しなかったと思えるくらいでした。その時代の人々が何らか公的な目的があってこの世に生を受けたと考え、そのことに何の疑問を持たずに、唯、感謝の気持ちで受け止めたような気もします。
当時とは異なる時代の危機、それは世界の混迷する価値観の流動の中だ、今、日本の国と日本人の生き方が問われることに対する回答として、この公的な会社の経営理念を実現しようと生きつつあることもそれと取り組んだ成果と思います。